2023年3月3日封切りのアニメ映画『映画ドラえもん のび太と空の理想郷(ユートピア)』否定派寄りの感想です。

作品の結末および重大な根幹設定に触れているため、鑑賞がまだの方および実際に鑑賞して感動した方の閲覧は特にご注意ください。

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一言でいうと💩映画! とまでは言いませんが不快な映画。(理由は後述)

最近は『映画ドラえもん のび太の宝島』(2018年)および『映画ドラえもん のび太の新恐竜』(2020年)という最悪レベルの不快な作品があり、私は映画ドラえもん全体に警戒を強めていました。

また本作の小説版である『小説 映画ドラえもん のび太と空の理想郷』(小学館、2023年2月発売)がガッカリ小説であったので、本作への期待のハードルを地面スレスレまで下げて鑑賞に臨み――映画版で改善されていることを望み――そして鑑賞を終えたのですが、感想は上のとおり。


見た目は大人、頭脳は子供である私に宿る、ないに等しい文才ではうまく文章にできず、そこはさまざまな否定派感想記事にお任せするとして、私は子供頭脳で雑に書いていきますね。


まずソーニャさあ…パーフェクトネコ型ロボットとか言っておきながらキャラデザが藤子Fっぽくないのは簡便してほしい。キミ世界観違わない? 声をイケメン俳優が当ててるから、大人の事情でフーセンダヌキみたいな不細工キャラにできなかったんだろうけど、主役級キャラですよ? すぐ出て消えるような脇役ならともかく、映画の最初から最後まで出ずっぱりで、グッズコーナーでぬいぐるみにまでなるキャラですよ? せめて藤子風に寄せる努力はしてほしかった。

まあ現実そんなキャラが「かわいい~♥」と肯定論者の間でもてはやされ、ぬいぐるみが爆売れしてるみたいなので、かわいけりゃ許されるんでしょうが…。それでいいのか?とモヤモヤする。


まずパラダピアが時空移動とやらで各地の各時代へワープできるという話を聞いたドラが、竜宮城の正体もパラダピアだったんだ!と納得するシーン…。藤子プロはなんとも思わないの? 普通に原作と矛盾するし、これからは「竜宮城の八日間」を藤子プロが紹介するときもあれはパラダピアだって紹介する…わけないよね? 早めになんとかしたほうがいいと思いますよ。


また本作最大の感動ポイントであろう、ドラが三賢者やソーニャに向かって唾を飛ばして演説するシーン…薄っぺらいですね。私のブログも薄っぺらいですが。肯定論者に言わせれば、実に事実に即した、近年稀に見る薄っぺらさのかけらもない名演説だそうですが、そんなもので喜べるのがうらやましい(嫌味ではなく)!

また、
  • クライマックスで爆発しそうなパラダピアを四次元ゴミ袋に詰めるシーンが『のび太のひみつ道具博物館』で観たようなやつだったり、
  • ゴミ袋を巨大化するシーンが『のび太の宇宙漂流記』で観たようなやつだったり、
  • 爆発物を宇宙へ打ち上げて心中しようとするシーンが『のび太とロボット王国』で観たようなやつだったり、
  • ソーニャのメインメモリだけ拾うシーンが『のび太の海底鬼岩城』で観たようなやつだったりと、
過去の大長編ドラおよび映画ドラとかぶるシーンが多々あり、それらが少々気になって感動できない…。

ソーニャにも心があるんだと言っておきながらメインメモリ1粒で完全復元できるよ万々歳!と浮かれるシーン…。大丈夫? 「じゃあドラえもんがいつ壊れても問題ないよね!」ってならない? 身体をつくりかえるだけで記憶が完全に飛ぶと説明された『ドラえもんが生まれ変わる日』の感動はどうなるんだろう。感動を返せ!

たしかに「全体復元液」をかければ「バギーちゃんのかけら」であっても完全復元できるというのは昔から言われてきましたが、今回は水中バギーじゃなくてネコ型ロボットですからね。でも今後『海底鬼岩城』をリメイクした時に感動が薄れそう。


パラダピアンライトという恐ろしい光線の元ネタは同人小説『のび太と月の帝国』に登場する「ルナティックブーム」ですね。



まあ実際制作陣はだれも読んでないと思いますが。月から降り注ぐ、知能の一時的な向上や精神異常を引き起こす謎の光線。パラダピアンライトじゃん。この小説自体はめっちゃ面白いので、未読の方はこんなブログなんか読んでないで今すぐ全員読んでください!


とまあ雑に書いていきましたが、もっとしっかりした記事をいろんな方が書いておられますので、私の記事なんかよりもそちらをぜひお読みください!(※私の気になった記事を列挙しているだけであって、必ずしも否定派であるとは限りません)








その後、あらためて思ったこと


だから、よくも悪くも本作は「小説風」なのでは。小説家であっても大長編ドラを想定しながら書いた作品(『月面探査記』など)は大長編ドラの世界観を保ってるけど、小説風を貫き通した作品はそうではない。だから小説風作品への受容体があり、ドラにそれを求めてる人にとっては本作への抵抗がないと。


本作にはいろいろな方が否定的な意見を出しているのですが、意見としてはみなバラバラであり、これといった共通する意見がない。みな本作へ不快感を抱いているものの、それを言語化するのが難しい。それらの不快感のもとをたどると上記へおちつくのではないでしょうか。


否定的になる根拠として、辻褄の不整合、ツッコミどころにあきれる人も多い。
  • のび太がうら山で空を見上げて三日月型のパラダピアを見たシーン。パラダピアはのび太の町の上空に現れていることが後の展開からわかるので、町の真下からパラダピアが三日月型に見えるはずがない。
  • ドラとのび太のいない夜の野比家でパパとママがさみしく夕食を取っているシーン。後の展開からそんなことになるはずがない。
  • 日本の中世の水中深くにパラダピアが現れたのをドラが見て、パラダピアこそ竜宮城伝説の根拠であるとドラが言い切ったシーン。ドラは実際に竜宮城へ行き、乱暴を働かれたうえに処刑寸前までいっているので、ドラがそんな考えに到るはずがない。
辻褄を無視するのは私も嫌いです。が、大長編ドラおよび映画ドラシリーズでは辻褄の不整合が毎回多々あることもまた事実。ぶっちゃけ『のび太の恐竜』からありますからね。私の一番好きな『のび太のひみつ道具博物館』でさえ、ツッコミどころが多数あることに私自身が気づいています。



つまり多少のツッコミどころの存在は、否定的になる根拠としては薄いということです。


私の結論としては、本作は大長編ドラから大きくハズレた作品であるということになります。それをどう捉えるかはあなた次第。


2023年3月9日 11:34 追記 …… 参考記事についての説明を変更
2023年3月12日 12:56 追記 …… 追加の意見および総論を追加。また考え方の変化にともない閲覧制限を撤廃